天才女学生、東大寺を動かす。
奈良の大仏さまが平家に焼かれた時に、全国から寄付金を募る「勧進」を取り行ったのが「重源上人」です。
その功績を讃えて運慶が彫ったとされるのが
国宝「重源上人坐像」。
彫刻作家の
三輪途道(みわみちよ)さんは、
大学院の卒業制作で、この「重源上人坐像」をどうしても彫りたくなり、
像を代々守っている東大寺の俊乗堂の門を叩き、実物を見ながらそっくりに彫る「模刻」をさせて欲しいと頼むのです。
そして何故か、それは保存主の俊乗堂のおばちゃん(三輪さんの言い回し)を動かし、許されます。
しかし、そのようなことは本来文化庁などへの正式な手続きを踏まねばならないことだったのですが、
そんなことも知らない三輪さんは、お金がなくなると「せんとくん」で有名な籔内佐斗司先生の元で
アルバイトをし、お金ができれば東大寺に戻るという生活を二年送ります。
一心不乱に彫り進む鬼気迫る迫力は、東大寺の上の方の人たちの中でも話題になります。
一方、ちょうど同時期に南大門の仁王像の大修復のプロジェクトが進められていた時期で専門家も東大寺に多く滞在していた時だけに、「あの子誰?」「あんなことして大丈夫」的なムードが三輪さんの知らないところで巻き上がっていたそうです。
そして、ある時、「あんた、これにサインし」と三輪さんに差し出されたのは、なんと東大寺が作成した
文化庁などお役所関係に筋を通してくれるための正式で抜かりのない文書だったのです。
東大寺の大人たちが話し合って、この天賦の才能を発揮させようと、三輪さんの知らぬ間に根回しが行われたのです。
まさに「(何も知らない)天才女学生が東大寺を動かした」瞬間です。
これが、その時、20代で三輪さんが彫った「重源上人坐像」。

上のリンク先の本物と比べてください。
そりゃあ東大寺も動かしますよね。
続く
追記 令和3年11月10日
富岡市立美術博物館での展示を終えた三輪さん作の重源像は、奈良の東大寺に戻ります。
いつもは東大寺寺務所の写経ができる広間の床の間に飾られています。
東大寺の写経で検索いただくと、写経場の写真が見られますが、その写真に三輪さんの重源像も写っています。
また、東大寺の献茶式の時には副席の控室にもなるので、その時も大きなチャンスです。
三輪途道さんの旧姓の上原三千代の名前の札が添えられています。
追記
令和4年12月1日現在、東大寺で三輪さんの作品は非公開になっているようです。
posted by 皮膚科芦屋柿本クリニック at 13:31|
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