今朝の畑からの花は紫ばかり。

今日は紫にまつわる昔話をいたします。
もう20年前になるんですね。
京都パープルサンガが天皇杯に優勝したのは。
当時、当院は女性誌や情報誌にたびたび「ニキビ治療の推薦できる医院」として
取り上げていただいていました。
それで
芦屋市内に在住されていた、サッカーJリーグの京都パープルサンガの通訳の方が
当院のことを知ってくださっており
当時の京都の選手を当院に何人かニキビ治療でお連れくださいました。
その中の一人が、天皇杯優勝の立役者、その後オランダ、イングランドで
活躍された朴智星(パウクチソン)選手です。

彼のニキビ治療があまりにうまくいったので
韓国国内で話題になり、当院のことをメディアに話してくれたのだと
後からうかがいました。
それで、情報解禁とし、
常日頃、守秘義務遵守の私ですが、
パクさんのことは、よくこの欄でもお話ししています。
私は韓国語は喋れませんでしたが、
当院で今も行っている面疱圧出をしながらだったか、
目を瞑っている彼の顔の上で施術しながら日本語で
「こんなに立派な選手になって、韓国のお母様も本当に喜んでおられるでしょうね」
と独り言のように言うと
彼の瞑った目の目尻から
ツーッと涙がこぼれました。
圧出が痛かったにしては熱い涙で、彼が実は日本語もかなり理解できることを
悟りました。
物静かで爽やかで、素晴らしい人柄をいつも感じました。
チケットを手配いただき、何度か試合も見に行きました。
彼のチャントは橋幸夫さんのメキシカンロックのサビの部分が原曲で
パクッチッソン ゴールー! ゴーゴー! ゴーゴー!
すっかり覚えて歌っていました。
天皇杯決勝の国立にも応援に行きました。
彼らサンガのメンバーが天皇杯を掲げる姿も見届けることができました。

2002年の日韓ワールドカップの時は、
日本代表が負けた後も勝ち進んでいた韓国代表を
彼が出ているから、一生懸命応援しました。
今、森保ジャパン以外を応援することは考えられない私ですが
それほど、彼は周囲の人を応援したい気持ちにさせる人でした。
それで本題なのですが、
先ほどから掲載している画像の悪い写真の元写真のお話をさせてください。
京都パープルサンガは、その後京都サンガに改名しまして
2020年には念願のサッカー専用スタジアムをJR亀岡駅前に建設しました。

資料写真より
有名な保津川下りの出発点としても知られる亀岡の土地に建ったスタジアム。
ぜひ行ってみたいと思っていましたが、今年の9月23日に
機会があって行ってきました。

左側が京都市内の渡月橋まで続く曽我谷川の河川敷。
その向こうに見えるのは愛宕山になるのかしら。
スタジアムの中は、しっかりパープル!
今でもチームカラーは紫なのです。

そう、そしてこの日のスペシャルゲストが

朴智星さん。
新しいスタジアムにこの日初めて訪れたとのことでした。
彼が来ることは事前に知っていたのですが、いつ現れてくれるのか
心待ちにしていると、ハーフタイムに登場され、
モニターには、在籍時の華々しい活躍の動画が流れました。

日本語で、京都での日々を懐かしく語ってくれたパクちゃん。
(当院ではスタッフ一同親しみを込めてパクちゃんでした。)
あの厳しいイングランドのプレミアリーグでアジア人として初めて
認められる大活躍をしてくれた彼。
活躍は華々しく報道されていたけど、もしかしたら京都の時よりも
周囲の理解や尊厳に関しては厳しい世界だったかも。
それでも歴戦の戦士の顔は限りなく穏やかで
京都サンガを心から愛していることが伝わりました。
その後、場内を一周していきます。

私の周囲を見渡しても年若いファンばかり。
「もう、あの頃を知っているファンも少ないだろうなあ」と思っていたら
京都サポーターのゴール裏から、あのチャントが

「パクッチッソン ゴールー! ゴーゴー! ゴーゴー!」
さすがゴール裏にはあの頃のファンがまだいたようです!!
繰り返し歌われるゴール裏からのチャントに手を挙げて応えるパクちゃん。
わあ、流石だわ!
横断幕用意してたのですね!
「京都の英雄 朴智星」これは泣かせます!

ゴール裏民の前で立ち止まり、彼らに熱い拍手。
そして記念撮影をして、彼の舞台は終了しました。
変わらないわあ、、、。
相変わらず紳士で、素敵だわ・・・・。
と感心していましたら、
後半、大先輩に勇気をもらったのか、サンガさんが点を入れて勝ちました。
私にとって
懐かしい紫の思い出の1日となりました。
他のサンガの選手の方々もどうされているかなあ、
ご覧になってたら、またお役に立てる時はお知らせくださいね!
いつでもお役に立ちます。
posted by 皮膚科芦屋柿本クリニック at 10:30|
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