芦屋医師会で作成していた「在宅医療ハンドブック」

昨夜も診療後に医師会館で編集会議でした。

ライトアップ、綺麗。

私が芦屋市医師会に入会させていただいた時は、先代の建物で、古めかしいものでした。
当時は月初になると各医療機関からレセプトの束が届けられて積み上げられており
その束の大きさで盛況ぶりがわかってしまう、という時代でした。
(今はオンラインになっています)
当時の芦屋市医師会の理事の先生方は
芦屋市に古くからお住まいの方ならご存知の方も多いかもしれません
会長の福岡先生や柿沼先生、冨永先生、京極先生や芦屋病院の岩尾先生のお顔が思い浮かびます。
阪神淡路大震災の大混乱を乗り切った強者ドクターで
皆様威厳があってダンディーで渋くて優しくて素敵でした。
医師会の若手では須山先生、筋師先生、松葉先生、
女性では多田先生、天津先生、宮本ゆっこ先生
皆さん仕事ができる上に個性的でおしゃれで憧れました。そして私は皆様に本当に良くしていただきました。

(芦屋川と芦屋市役所庁舎)
2年前、現在の会長の安住先生から理事就任の打診を受けましたが
いつもゴマメだった私ですから、まずは医師会に面談に行きました。
仕事は、理事についてから決まる。
任期は1期2年
というお話でした。
2年なら、と思いました。
阪神淡路大震災の時はまだ勤務医で、芦屋市のお役に立てていなかった私が
コロナ禍の中で何かしらお役に立てるなら、と思いました。
着任した仕事は、芦屋市の福祉関係の仕事でした。
ものすごく、ものすごく、勉強になりました。
行政の方々にも多くのことを教えていただき、
私の診療へも大きなプラスになりました。

(芦屋市役所庁舎東)
そして任期あと1年を切った頃にこの「在宅医療ハンドブック」のお仕事が来ました。
それまでの芦屋市の行政の方々のご苦労を耳にしていたので
これ以上行政だけに頼るのは無理があると感じていた私は
民間企業のサービスの紹介を提案しました。
芦屋市医師会が発行する本に、民間サービスを掲載するのはいかがなものか、
そこも会議の俎上に上げていただきました。
そこで、歴史的な第1歩。「掲載しましょう」ということになりました。

各企業さんの担当窓口に何度か連絡を取り、掲載許可をもらい
原稿チェックもしてもらって
昨日校了、となりました。

(春日大社の鹿)
これで私の医師会理事の仕事も、ほぼ終了です。
憧れだった先輩ドクターから託されたバトンを次の世代のドクターに
受け継いでもらうことができると思います。
お世話になった医師会の皆様、行政の皆様、企業の皆様に
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。